【この世界のどこに私を認めてくれる人がいるのだろうと】

先日、noteに、5回に渡り自分の個人的な男性トラウマについて書きました。


そのことで、たくさんの感想を個人メッセージでいただきました。ありがとうございます。

一つひとつの大切な経験と思いを受け取らせていただきました。


「私、お父さんに守られたかったんだー!!!って気づいたよ」 

「夫のことを実は怖い!と思っていた自分を発見したり

 (そうは言っても)

 夫に支えてもらってた部分も大きいよなぁと」


など……

おひとりおひとりの、いろんな過去の経験と

今それを眺め渡して見える新しい景色を、共有していただきました。


『一人が癒されたら、他の全員が癒される』

そう思っています。個人的な経験が、波紋として広がり互いに連鎖反応し合っていったのを感じ、本当に嬉しかったです。


2~3歳頃にご両親が離婚され、その後一度も父親に会ったことがない、

ということを話してくださった方もいました。

そのことと、それに対する私の今の返答を、許可をいただいて少しシェアしたいと思います。


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(一部抜粋)

読んでいて、自分自身と重なりすぎて泣いてしまいました。

私は今すごく精神的に不安定というか落ちていて。常にある寂しさと欠乏感がまたわっと湧いて。


もう自分を愛すなんて今のこの私のどこの何を愛せるのか、と自暴自棄に陥っています。


きっと私は父親にただ抱きしめてもらいたいんだと。

世界中の人が全て敵でもきっと父親(母もですが)は私の味方でいてくれるんだろうと。

どんな私であってもこのままの私をただ愛してくれるのだろうと。

いつからかその温もりを求めているのだと気づきました。

どんな感情が湧いた時も行き着くのは父親(という存在)の大きくて温かい愛でした。


いまだに私はこの世界のどこに私を認めてくれる人がいるのだろうと。

ただこの何もない私をただ受け止めてくれる人はどこにいるのだろうと。


どこかの誰かにそれを求めている反面、それはまず自分が自分を受け止めてあげなければということもわかっていて。

他人を否定することでしか自分を肯定できない私にどうやって自分に許可を与えられるのだろう、どうやって自分を受け入れてあげられるのだろうと。

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私がこのメッセージを受けて感じたのは


まず、

こうして

丁寧に自分の中の気持ちを見つめ、熟考し、言葉にすることができること、

ものすごく素晴らしい才能だと思いました。


そして、圧倒的な寂しさを、感じ、

真向から向き合っていること、

それができるだけの計り知れない強さがあるということだと思っています。

それは、本当にすごいことです。


多くの場合、私たちは、寂しさや悲しみを感じるのが恐くて

蓋をして、日常の中で誤魔化して存続しています。

誰のこころの中にも、圧倒的な寂しさや孤独というのは

(私たちが生まれて死ぬ運命である以上)あるのですが、

それに吞み込まれてしまいそうに感じるのが恐いから、

通常私たちはそこへ蓋をしています。


その、大きな大きな寂しさと欠乏感を、しんどさを真正面から感じ切っている、

辛さから逃げずにいる自分自身を、よくやっている 本当にすごいことをしているんだと、

存分に労ってあげてください。

しんどさから逃げずにいるというのは、ものすごい強さです。


包み隠さず、この底知れない寂しさを、ちゃんと表すことができる、それは、ご自身が、

ちゃんとご自身の一番繊細で、弱い部分を、

ちゃんと聞き届けて、味方になって、その声を発することをゆるしてあげられている、ということだと思います。


どんなに埋められない寂しさも、孤独も、なかったことにせず

ちゃんと向き合って、感じ続けるだけの、底知れない強さを、持っている。

それは本当に本当に素晴らしいことです。


そして、感情を感じ続けてあげて、表現し続けてあげることで、

必ず、少しずつ少しずつ、感情は変わっていきます。

自分自身の中にいる、

小さな2-3歳の女の子の泣く声にちゃんと気づいて

もはやそれを、聞こえぬふりはせず、

ちゃんと側に行って、どれほどでも、泣いて悲しんでいい、と

許可を出してあげてください。


ノートに、たくさん、どんな気持ちでも、書いてあげるのも、いいと思います。

どんな惨めな気持ちも、つらい気持ちも、暴言も、親に対する文句も、

押さえないで、言いたいことを言い切ってあげてください。

(私もよくやっています。あらん限りの罵詈雑言を書きなぐる、デスノートです。笑)


それをただゆるしてあげて、どんなつらい気持ちも汚い言葉が出てきても、それを表現することを、ゆるしてあげてください。


それは、小さな女の子の痛みや叫びを、

「いつまで泣いてんのよ」とぴしゃりと叩くのではなく

(もういい加減、前に進みなさいよと、押し黙らせるのではなく)


その子の側まで寄り添って、一緒にしゃがみこんで、

手を握って、どれだけでも聞き続けてあげる、見放さないからね、と

言い続けてくれる、優しい優しいナイトの少年を、

こころの中に育むことだと思っています。


それが、「自分自身を無条件に愛してくれる、父親」を、

こころの中に育むということに、つながっていきます。


どんな自分でも、どんな感情を持っている自分も、

どんな寂しいと叫ぶ自分も、味方になり続ける存在です。


そうやって、

いつまででも、自分の味方だからね、と泣いている子の手を握りしめてあげていたら

その子は安心して、涙はいつか止まって、立ち上がって、いつしか歩けるようになり

自分の中の、女性性と男性性が育って歩みを進めていったら

いつしか、外の現実でも、いつでもあなたの味方になってくれる「お父さん」が、

本当に現れてきます。


親と子というのは、

互いの魂を磨き合うために、あえて

「愛のない環境」―苦痛のある環境や設定を選んで生まれてくるとも言われていて、

あなたの魂は、今回、そうした設定を通して、

「自分自身を愛する」というとても困難に見える偉業をなすことに、少しでも近づきたいと、

困苦をあえて選んできた、それだけ、

とても勇敢で高貴な魂なのだということを、

どうぞ、覚えておいてください。


私たちは、自分の愛し方を学ぶために、生まれてきています。

今、その長い長い道のりにあって、愛し方が分からない、と立ちすくんでいること

その地点に既に立てているということは、

これから愛していこう、というスタートラインに立てているということで


それは、ちゃんと、これまで経てきた道のりがあったからこそで、


この今までの数十年間も、すべて、必要なこと、

自分が為してきたことすべて、それで良かったのです。


そして、今、自分を愛していきたいという望みが明確になりつつあるということは

間違いなく、その自分をもっと愛してる未来の自分が、すでにこころの中に存在していて

そこへ導かれていくんです。

だから、安心してください。

本当に、何もかも、順調なのです。

大丈夫。

大丈夫です。


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個人セッションで、一緒にこころの深い旅をできること、

お待ちしています。



 (写真:バリ島ウブドのヨガスタジオ「ヨガバーン」にて、花マンダラを作る男性スタッフ達)

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