『天気の子』と、『恋をしなさい』


皆さん、この夏、映画「天気の子」見に行きましたか?


私は、年下の友人(二十歳の女の子)と見に行ってきました。


とっても良かった。


世の中全体の幸せを願うよりも、

自分が好きになった一人の大切な人を守りたいという気持ち、純粋さをどこまでも追及したお話、という風に、見えました。


恐らく、10代、20代だった頃の自分も持っていただろう気持ち。それが年を重ねるにしたがって、いろんな経験を積み重ねて、自分以外の様々な状況や事情を考慮するようになったり、大人ぶる自分が出てきて、少し高みからものを眺め渡すようになったり、自分が傷つかないように距離をとるように、学習したりなんかして。

結果、自分の純粋なこころに従って忠実に動くことを忘れる、そうした部分が気づかないうちに、自分にもあったかもしれない。


一人の大切な人のためにどこまでも突っ走る、愚直なエネルギー、その純粋さを思いながら、

自分のこころにはやはり正直でしかいられない、正直にいたい、そんな風に思いました。



余韻はさめやらず、映画の後は、一緒に見に行った女の子とカフェでお茶をしながら、じんわりと語り合いました。

34歳の私は、20歳のその女の子に、「恋愛してる?」「しなきゃだめよ~!」と、連発。(笑)


小一時間、お話をして、さてそろそろ帰ろうかと席を立ち、彼女が帰宅前にトイレに行くと行って、トイレに行ったら…


トイレのドアから出てきた彼女、焦った顔で、「突然生理になっちゃいました…」と。


あらあらまぁまぁ、ということで、私は近くのコンビニまで走って生理用品を買い、彼女に渡して、

トイレの前で嬉しくにやにやが止まらず。



からだは、賢い。

からだは、「ほら、わたし、女の子だよー」って、言ってるように聞こえたのです。


トイレから出てきた彼女を、バス停まで送る道すがら聞いたのは、

前月から生理がずっと遅れていたこと。


お茶をしたときに聞いたお話は、彼女が前月、模試を受けて、その結果にがっくりきていた、ということ。


こころと身体は、不可分で、残念なことや悲しいことがあると、即座に反応してそれを知らせてくれるのが、身体だと思います。

意識/無意識のこころの動きは、すなわち身体の細胞や身体全体のネットワークと直結している。


健やかな状態であれば、自然に訪れていただろう月に一回のリズムが、起こらないということは、身体が、何かしらのストレスや抑圧を受けているということを、教えてくれていたのでしょうね。


で、生理が来た、ということは

その日、映画を見て一緒にこころ豊かな時間を過ごして、彼女のこころが動いたから

だと思ったのです。


お茶をしているときに話したことは

こころが動かない時は、からだを動かしたらいいよ

自分のこころが動き出しそうな、素敵な映画を見に行ったり、

会いたい人に会いに行ったり、好きな美術展に行ってみたり、

何か、こころが動くことをしたらいいよ

ということでした。



「天気の子」を見に行ったら、即座に身体が本来の女性のリズムを取り戻して、「わたし、女の子だよー」と言ってくれたことだし

自分が本来やりたくないこと、つまらないことはやめて、早く恋愛しなさいっ!あなたかわいいんだからっ!とまた、おばちゃんモードになりつつ(笑)


バスに乗ったその子とバイバイしたのでした。



わたしと会ったことが、こころが動いた一つのパーツであるなら、わたしも嬉しい♡



*************





「あいこ 素敵な恋をしなさい。」


これ、私が20歳、今のその子と同い年だった頃に、当時インターンしていた会社の人から最後に寄せ書きでもらったメッセージです。


14年経っても、わたし、これが忘れられないんです。


その会社は、組織開発・人材開発をテーマに、リーダーシップやチームワークの野外研修を行っていて、明るくて元気なファシリテーターの方々が集っていました。

当時を思い返すと、世間知らずで甘えん坊、「仕事をさせていただく」ことの意味をひとつもわかっていなかった自分に、恥ずかしくて顔から火が噴き出しそうになります。けれど、社員の皆さんは温かく、時に辛抱強く、幼い私を見守っていてくださったのでした。


この「恋をしなさい」のメッセージをくださったスタッフの方は、優秀なファシリテーターでありながら、世界中で行われるトライアスロンの大会や、アマゾンで200キロのレースに出場するなど、チャレンジをし続ける冒険家です。


しかしこのメッセージ、

仕事のことなんて、全然無関係!(笑)


でも、これが人生でとっても大切なことだよ、と

その人が示してくれていたような気がしているんです。


恋をしなさい


それは、自分がつくってきた「自分」という存在を揺るがす、未知の異性との出会いを、恐れるな

という意味でもあるかもしれないし、


異性との恋愛に限らず、

「自分」という存在を揺るがす出来事に、恐れずに出逢っていきなさい、

自分の人生に恋をしなさい、恋してしまう夢中になれるものを見つけなさい、

自分よりもずっと大切なものに出逢いなさい、

そうした意味も含んでいる、ともいえると思うんです。



「恋をするのよ~!」と、自分が他者に一生懸命伝えたその時、それは翻って、わたしは自分に言っていたのかもしれず


分かったふりして、大人ぶらず

自分のこころが動くことを、動かされることを、

素直に、やっていくんだ、

やっていきたいんじゃないかな、わたし


そんな風にも思う、秋の始まりでありました。


0コメント

  • 1000 / 1000